昭和46年03月18日 月例祭
あの今度御本部に修行に行きます、学院に入学いたします修行生の方達が、いつも小倉であっとりましたのが、今年は博多で博多教会で所長、次長がみえられて面接それから、仮の試験まぁこの次の受ける試験の、心準備と言った様なものがあるので、今日はここから五名参りました。今日私みんなが帰って参りましてから聞かせて頂いた事の中に、ビックリ仰天という事を、いくら何回も使っておる事ですね。
もう長崎、佐賀、この北九州管内、もう日本で一番、金光教の教会が密接しておると言われる、この北九州に何百かの教会がございますけですれども。その教会から今度学院に入るのが総員で25名。その中に合楽の5名が入っておる。しかも合楽の場合は本気で、お道の教師になろうという修行生ばかりである。普通他はもうほとんどが教会師弟で、教会の息子さんとか、お嬢さんというばっかりだった。
だからもうその、ここでの修行生が5名学院に入るというだけでも、皆さんがほうっち言うてからビックリ仰天されたとこう言う。そりゃそうかも知れませんですね。恐らく全国でもないかもしれません。5名学院に入るですね。去年が3名。段々一年一年その多くなっていくわけですね。その中から一人一人その面接を、所長自身がなさっておられます。それで一人一人にその模様を聞かせていただきましたが。
徹君が聞いた事はこんな事を、両親の合楽始まって以来の両親の信心に連れのうて信心させて頂いて、何がなにか分からんなりに、もう金光様の教徒になってしまって、何が何か分からんなりにお道の教師に、まあ、なろうとしておりますとこう言うた。それで君学院を卒業したらどうするか。どうするかは分かりませんけれども、とにかく合楽に帰ります。もうそれから先は親先生任せですって。
そしたらはあっち言ってからビックリ仰天したち言う。そして言われた事がですね、とにかく君達の信心を大事にしてくれ、今の本教ではね、青年の信心はそれこそ貴重な宝石のようなものだと言われたそうです。私はそれを聞かせていただいてね、成程若い方達の信心がそのように、宝石のようにしかも貴重な宝石のように、今教団でそのように若い者の信心を求めておるということです。だからその若い者が信心をするという事だけが、宝石の様な値打ちがあるのではなくてです。
私はねその信心をいかに現すかいやその様なね、例えば願いが現しうる力を持っておる。世界に真の平和をもたらす事のできれる力を持っておる、世界総氏子の助かりを願うだけではなくて、そういう願いが着実にです。浸透していけれる内容を持っている、お道の信心そのものがね、貴重であり宝石の様な物であると、私はそういう風に思うた。山田先生はあんたどういうて、熊本辺からまで合楽に行ったか。
先生の言われたところが面白い。とにかく椛目には、生神様ござるというので、初め参りました。何十の金光教の教会を乗り越えて参りました。そしてお参りをしてみて本当に、成程成程と合点する事ばかりで。只々恐れ入ってしもうて一生懸命お参りするようになりましたら、私の周囲に又人が助かるようにまでなって参りました。それでいわば色々な差し支えもございますから、差し障りもありますから。
本気でお道のいわば本当な教師にならせて頂く事を願えという事から、みんなの勧め又は親先生の許しを頂いて、このたび学院にお許しを頂こうと思いますと言わっしゃった。ほうっつうて頭を振らっしゃった。ほらもう合楽の先生は、我が身の事ばっかりは生神さんごたる。(笑)それこそみんな馬鹿んごと思うとるですけんね。末永さんにはこんなに聞いた。あなたは壱岐教会の息子でありながら。
どうしてその合楽で4年間も修行されたか。もうそれは私は私の叔父があちらに御神縁を頂いておかげを頂いて導きをもってまいりましたが、あちらの先生、あちらの信心を頂いておると、もうさながら、天地がそのまま、親先生の、いわばバックであるというか、神様が親先生の願い、思い通りに動いておられるという、もう天地と一体の方ですと言うた。ほりゃもうビックリ仰天されたげな。(笑)
私の直子にどげん聞かれたかと言うたら、あなたんとこのお父さんは元気ですか。若先生の結婚式はどげんなりましたか。あの奥さん貰いなはったか、その事ばっかりじゃったげな(笑)。ちった何か思いがあるなさるのかも知れんち言うて、大笑いしました。それぞれに私は思わせて頂くのにです。本当に私はお道の信心がです、本当にそのお道の信心を頂いたら、貴重な言わば宝石のような存在であるということがです、ただお道の信心の持っておる、その内容がです、素晴らしい。
それを現していく事が素晴らしいのですよ。末永さんが言うております様に私はねその末永さんが合楽の先生が、天地と一体の方だという事を言うた時、何かびりびりっと私は感じたんですよ。是は本当に嘘ではないという事です。この辺な皆さんの場合でも同じ事。只それは皆さんの感度がね薄いから感じないだけの事。それを段々感じ取らせて頂けれるおかげを頂けばです、誰もが天地と一体という程しのです、おかげが受けられるという事。それを聞かせて頂きながら改めて思わせて頂いた。
所謂天地を大切にするという事は、私はそのまま成り行きを大切にする事であると。私共の上に色々様々な事柄、問題いろんな事がある。その成り行きそのものを大切にするという事。それは天地を大切にする事なんだ。天地の親神様のお心を分かって、それを奉戴するのと同じ事である。頂き奉るのである。そのね私は成り行きを大切にして参りました、ここ二十年なら二十年間の間の事をね、その一瞬私は思うた。
末永さんがそれを言うた時に。はあ本当に成り行きを大切にするという事は、場合によってはね非人間的な事もある。場合には嘲笑される事もある。場合にはそんな思い恥ずかしい思いをする事もある。成り行きを大切にしていきよれば。成り行きを大切にしていけば、こげな損なせんでもいいのにと言う様な損をする事もある。その私は成り行きを大切にするという事がですね。
こんなに見易い事はない、またこんなに難しい事はないという事はです。私共が願いに願っておる、その願いが成就しないからだと。私共が成り行きを大事にす、その姿勢を取らせて貰うと、まず神様の願いが成就していくのである。だから成り行きを大切にしとら、例え、ほんならそ、教務所の先生方も思われただろう。それは言い訳をすれば、すぐ解る様な事でも、成り行きを大切にしとれば言い訳も得ずに、黙って自分の心の中に、どういう風に相手が思うとろうが、思われとろうがです。
それを赤面弁慶になって、言い訳をしなければ説明もしない。ただ自分は神様の、いうならば、成り行きを大切にさせて頂いておる、天地を大切にさせて頂いておるという喜びが、私の心にあるだけである。そういうおかげを頂かせて頂きよったら、例えばそういう、いわば先端にというか、真向こうにあった教務所の先生方がです。ほうと言うてビックリ仰天されるような、今日合楽がおかげを受けておるという事である。
私は人が泥棒だと言うても、乞食だと言うても人のものを取らなければ、または貰うて歩かなければ乞食でも泥棒でもないんだと。神がよう見ておる。信心の帯をしっかりせよと仰せられますけれどもです。是はただ信心しとればじゃなくてね、天地を奉戴する天地を大切にする自然成り行きを大切にする人の上に、これはある御理解だと思いますね。みなさんここんところを今日は、分かって頂きたいと思います。
成り行きを大切にする、成り行きを大切にして行きよればです。ある場合にはあれは馬鹿じゃなかじゃろうか、泥棒じゃなかじゃろうか、乞食じゃなかじゃろうかと、いうなら極端の事を言うとです。もうそれこそ断腸の思いをするような事もあるけれども。けれどもそれが一切天地がままになられる、神様が自由になられる、神様がおかげを受けられる事の働きに、私共がおかげを頂いておる時であるという事。
そこで神様がままになられる、神様が神の願いが成就していきよる、その方傍からは私共の願いが、それこそ夢にも思わないような願いが成就してきたというのは、成程末永さんが、今日教務所で言うたという。私んとこの親先生はもう天地と共にあるようなお方だとこう言ったと。私はその一瞬もうほんの一瞬です。二十年間いうなら神様と共にというような生易しいものではなくてね、神様いわゆる成り行きそのものを大切にしてくるということは、様々な問題があった。
損になる事も恥ずかしい思いをする事も、いうならばあれは泥棒じゃないか乞食じゃないかと言う様な意味の事すら言われるような時代もあったけれども。信心の帯をしっかりしてきた。今日私は幾人もの方から、大学受験をさせて頂いて、通らなかったという御礼お届けがあった。私の方の栄四郎も、今度県立の高校受けとりましたけれども、見事に落ちておる。もう見事にその不合格であったと。
おかげ頂いたねって、私は栄四郎がお届けに来ましたから、その事を申しました。もうこれは私の実感でしたから。私共がね自分の願うた通りになった事を、おかげと思うというのではなくてです。それがねその事は右であろうと左であろうとです、その事を受ける時に、おかげとして受けられるという事が成行きを大事にする事なんだ。そのへんからね、今月の焦点であるところの、目に見えない事に対するところのおかげ。
目に見えない例えば試験に合格したと言やあ、はあ広大なおかげを頂いたとこう言う。落第したと言やあとても残念だったと言う。もうその残念だったという事ではない。むしろ神様の願いが、そのような形で成就しておるだけに過ぎないのだ。だからその時点においてです有り難しと受けれる稽古こそが、成り行きを大切にするおかげなんだ。だからこそその後には成程落第しておってよかった合格せんでおって良かった。
それがこういうおかげにつながってきたんだというおかげになってくるのです。それから先はもう私共の願いではなくて、神様の願いが成就していく。そして私共の夢にも思わなかった様なおかげが頂かれる。お道の信心が貴重な宝石の様に尊いものであるという事はですそういう時点に、私共がおかげと頂けれる信心こそが、宝石の様な信心であり貴重な信心であり。私は尊い信心とはそういう信心を言うのであると思う。
今日はちょうど四時の御祈念に掛ろうと思うておりましたら、ご婦人方が4名丁度まあ立派な方ばっかりです。それこそ久留米のハイクラスの婦人ばかり。日本ゴムの副会長婦人です。もとのお紺川の七丁目に、桜木荘か桜美荘の奥さん、それから中川建設の女ご主人ですね。あっちは女子衆ばかりでああいう大きな仕事をしとります。一人の方は宮崎さんの介添えと聞いたんですけれども、従弟さんに当るとかっちいう方です。
ついこの頃までは何億の仕事をしておったが、その何億をすってんてんに取られてしまって、今はもうこの方達の草履持ちの様な形で、今日はついて参りましたとこう言う。実は今日は亀井久人さんの、選挙開きあの事務所開きであった。そこでそのこの頃から、久留米市長の、近見さんが市長になられた時におかげを受けた時の話を、その中の一人の婦人がなさった。
そんならいっちょ私達も、いっちょお参りさせて、お願いしようじゃないのと言うて、実は参ってみえたんだけれども、お話を頂いておられる内に、実は一人一人がね、おかげを受けなけられない、一杯のものを持っておられた。それが丁度4時の御祈念が終わりましたから、あの応接間でお茶でも差し上げよったら、丁度参り合わせておられた高芝さんが一緒に入ってきた。
それから高芝さんの話を、皆さん聞かれてそれこそもうびっくり仰天した。もう本当にこの前はよう通らせて頂くのに、もう本当にそりゃどげなお神様じゃろうかと思うて通っておったのが、もう本当にこりゃもう私共も今日を限りに、そのここのご信者さんにならせて頂きましょうち言うてから話し合って帰られました。話を聞かせて頂くともう頂くほどですね、もうとにかく金にいと目その不自由なさらない、健康でもあるけれどもです。やはりそれぞれに悩みがあるもんだと思いました。
それで高芝さんが自分の話をね、おかげを受けた話をなさる。それから佐田さんの話を、私がしてもらいました。そしたらもうもう佐田さんをよう知った方でありましてね。そうですかと言うてもう、その佐田さん、佐田与商店が倒産する時に御本部参拝を、いわばとても出来る状態じゃなかったのを、親先生のお供をしてというのでお参りをしておったおかげに、佐田与が倒産した。
自分の故意でしたそうでもなかったんだけれども、その時に自分がおっておったら、現在の佐田の家も、屋敷も無くなっておったのに、おかげを頂いて帰ってきた時には、もう既に倒産事は済んでおった。けれども自分の家だけはこの様にして助かったというね、おかげをはあもう本当に、不思議な事でありますなと言うて、聞かれましたがです。私は最後に申しました。
この高芝さんもその、あんた方がびっくり仰天されるような、話しばっかり聞かれとられるばってん、反対に今度びっくり仰天されるような事があったんですよ。こちらはね、あのシャンソン化粧品という化粧品の、田主丸の代理店をなさっておられました。その時分に家も屋敷もすってんてんに取られた事の話をされた。またシャンソン化粧品をもうはっきりシャンソン化粧品をするがよかろうというて、神様からそれをお商売を頂いた時の事のお話もさせて頂いた。
そしてねそのシャンソン化粧品というお知らせの、私話しをしたんです。あんた方はここに参ってくると、それこそビックリ仰天それこそ十三年ぶりに子供が出来たとか、佐田さん所のは6年ぶりに子供を恵まれたとかという話を聞きゃ、その方の中にも一人娘さんに子供さん出来られんのがおってね、でその話をしたらもうもうおかげ頂いたごと喜びなさるから、そんな訳にはいきませんよとと言うて久留米の緒方病院の話をした。
こちらも7年ぐらい出来なかったですね。この道を吉井のもと病院でした。それであちらはお願いに見えて三年も掛ってから、ようやく頂いた話をさせて頂いた。その間に又おかげを受けられた話をした。少し信心という事が難しいちゅう事が分かってきた。それから、酸素ぼんの話をさせて頂いた。信心はねもうそげな風なら一辺朝からお参りしてから、いっちょどうでんこうでんおかげ頂かにゃいけんち言われとりましたけどね。しゃんとすりゃ損するち言うお知らせを頂いた。
シャンソン。信心がしゃんとしてくると損する。その間が神様の願いが成就しておる時であるという話をした。そのかわり化粧品ですから、もうますます自分の心を限りなく美しゅうなっていくというおかげ頂いた。信心に打ち込んだ。ところが損になった。けれどももうここには損の苦しみもなからなければ、おかげを落としたという悲しみもない。ただ自分の心を美しゅうなっていくという事だけが有り難いという事になってきたら、所謂本当なおかげが頂けてくる。そりゃそうでしょうなっちゃん。
あんまりのお話を聞きよったら、おかげの話ばっかりなら、びっくりするごたるけど、やっぱりそんなもんでしょう。というて言うとられましてちぃと、御神酒入っとりなさるごたるして私に話した。しゃんとすれば損する。もう損するごたるなら、やっぱですねやっぱその、困ると思いなさったんでしょう。けれども合楽の場合はね、しゃんとすりゃあ損するその心の中が、その化粧品によって輝くように美しゅうなっていくと言う事が、楽しみで、合楽にはおかげを頂いておる。
そこの所がです私は宝石の様に貴重な存在、そういう信心を分からせて頂くという事が、私は有り難いという事をです、銘々が分からせて頂かなきゃならんという事です。どうぞ一つ目に見えるおかげより目に見えないおかげ。合格したおかげよりも合格一生懸命にお縋りもしお願いもさせて頂いて、合格もしなかったのであるから是は神様のご都合に違いはないと、是を頂いていくという目に見えないおかげは、まだ分からんけれども。それを頂いていくという事が、信心の一番尊い所だとこういう事。
願や願いどおりにおかげ頂いたという。例えばおかげは決して貴重なものでもなからなければ尊いものでもないのです。本当言うたらば飴ねぶらせて貰うとるようなおかげなんですいうなら。だからその不合格の時こそ、そこが大事に出来れる信心をね、頂いとかなければならんという事です。そこんところがです、成り行きを大切にするという事なんです。そこからですそれこそ天地と共に私共がですね。おるのではなかろうかと思われるようなおかげが、そこから開けてくるものなんです。
そげんしよったら、福岡から麻生さんが参ってみえられました。今日は二度目の丁度応接にみえましたから、この方はもう日田のお酒屋さんなんですけれどもね、もう今日は二度目のお参りですよち。はあもう何がそげん有り難かなら、二度もお参りなさらなんじゃろうかっちいうごたる顔をしとりなさいましたけども、麻生さんの話を聞かせて頂いてから、やっぱいちいち合点しよりなさいます。
それで私は麻生さんいっちょ、この頃あん幽霊の話ばこの方達にしてあげなさいち私が申しました。麻生さんという方は、そういう学問が非常に好きな方なんです。幽霊の世界を研究したりね、いわゆる人間の世界じゃないもう四次、最近はもう四次元の世界に、いわば取り組んでおられる。それを学問的に例えばその幽霊が、魂の世界があってこうだああだという事なんです。
だから本気で魂をお互いが清まらせて頂く事の、楽しみを持たなきゃならないと言う様な事を話した後でございましたから。麻生さんの学問的の実証される話を、ちょいと説明なさいませんでしたけれども、この方はそういう勉強なさっておられる方だというて、お話しさせて頂いたそして私が申しました。麻生さん幽霊の話を聞かせて頂いて、今日でもう三日になります。あれ以来私の信心がですねもう大飛躍を遂げました。
というのはね、これは何とかというお医者さんで有名な方が書かれたご本です。この人も矢張りそういう霊学を大変研究して、6年間掛ってこの位の本を一冊書かれた。最後にはとうとう分からんから、もう投げようという時にです。最後にね最後にそのお夢を頂いた。初めの間は夢ぐらいと思うて、軽視しとったけれども、その夢が自分が今一番分からないというておるところが、夢の中に現れてきた。
それが亀のお夢じゃったげな。その亀の夢の中からです、四次元の何とかがその分かるという。分かったと言うてその本に書いておられるという話なんです。そしてあの硫黄島にね、団体の幽霊が出るというお話なんですだからねアメリカの兵隊は、もうあそこに行きたがらなかった。だからあちらは給料が倍になった。硫黄島だけはそして妙な病気になってきたりまたはその幽霊を見てはその怖気づいて仕事ができない。
それで硫黄島は早く日本に帰ったという話を、その本の中に書いておられます。とにかくですねトラックでね、その米軍が行きよりますとね、まあいろんな幽霊が出る環境が丁度夕暮れとかというですね。例えばお芝居の時にどろどろどろどろと言った様な太鼓をやるでしょう。ああいう音には幽霊が出やすいんですよ。そしてやっぱこう柳の下とか雨が降るとかち言う雰囲気を好むわけですね幽霊は。
ですからそういう場面になってくるとですね、その自動車があなた動かんごつなるそうです。何とはなしに寂しいねえと言いよると違うのが出てくるです。雨どんがぼろぼろ降ってきよるともう愈々出るそうです。それもあんた団体で出てくる。そしてですね大きな大砲をですね一生懸命磨いたりね、大きな船を一生懸命磨いたりとか、そういうやっぱ事を一生懸命しとる幽霊だそうです。
それがねもうその一人二人じゃなくなったわけです、それを見るのが。私はその麻生さんから、この話を聞かせて頂いた時にですね、私もそれは幽霊も見た事もありますしね。御霊様はもう、日々これは幽霊じゃない。そういう御霊の世界を私は知っておるからです、その実感したんですけれども、はあ本当にそういうね、実はこの頃もテレビを見させて頂きよったら、あのベトナム戦争の被害でしょうかね、あの大きな川に死体がいっぱい浮いて流れておるという悲惨な情景が、テレビで映し出されておったです。
それでもまだ気が付かなかった。ところがねその麻生さんのお話を聞かせて頂きよったら、本当に私は世界中の氏子の事を一生懸命願う。喧嘩しながらでもよい立ち行きさえすりゃあいい。それぞれが立ち行くもう世界の隅々の人達がです、本当のおかげを頂かせて頂くことを芯から願わせて頂いておるが。世界中のその御霊さんの事を願っていなかったと思うてね、私はその翌朝から朝の御祈念に。
いわゆるどうぞ硫黄島のいわば幽霊も、またはベトナムなんかで浮かばれずに亡くなった御霊のおる事は、沢山な事であろうがです。もうそれはベトナムとか硫黄島じゃあない、世界中の迷える魂がです。どうぞ天地の親神様の御恩徳を悟って、おかげの頂けれる道に基づかせて頂く事をね、一生懸命それから願わせて頂くようになったんです。私はその事に気付かせて貰うて霊前のね。
霊前いっぱいにおいさみを頂いた。その願いをさせて頂いたら。こりゃあ私の信心がね、今までは人間世界の事ばっかり願っておったが、これからは本気で、御霊の世界の事も、そりゃあここに縁のある、ありとあらゆる御霊様の事を願いもします。けれども世界中のという事はなかった。おかげで硫黄島の幽霊の話聞かせて頂いたおかげで、そのようなおかげを頂いておりますと言うて、お話をした。
この23日は御霊様の御大祭です。その23日には、私はそういう御霊様の、お祭りという事を気が付かんでどうぞと言うとったけれども。先日亀井さん方の奥様達が三人でお参りになった時です。23日にぜひ主人と二人でお参りさせて頂くと言うて帰られたんですよ。だからこの頃参ってみえる時にね亀井さんも、23日には必ずお参りすると言うてありますから。
そん時にお参りになったらまた応援をなさっとられる皆さんも、お参りができるでしょうち言うたらそんならいっちょ御霊様の御大祭の日にぜひまたお参りをさせて頂きたいと言うて今日は帰られた。いよいよ御霊様のお祭も、あと幾日かでいうならばです、お互いの遺族お互いの家のうからやからの、御霊様だけではない今私が祈っておる、世界中のいわば浮かばれてない御霊達の上の事もです。
私はもう本当に私一人ではない、皆さんの祈りも加えてね、祈らせて頂けれる、勢信心のおかげを頂いて、この世の事はさておいてです、あの世でおかげ受け切れていない御霊達の事も、この御霊様のお祭には、願えるお祭りにしたいと言う風に思うております。目に見えないおかげが分かってきた。
それは私は今月の一番大収穫はこの御霊様達の目に見えない世界の事をです。硫黄島の幽霊のその事からヒントを得て、祈れれるようになった。毎朝その事が祈れれるようになったという事をね、私はたいへん有り難いと思うております。そういう事がです、そういう信心がです、私は徹君に言われたという、それこそ、このお道で言う青年の信心は、貴重な宝石の、それにも似たように大切なものだから。
僕の信心を大事にしてくださいと言わしゃったと言うようにです。だからその信心が若いものそのものが、大切とか尊いのではない。私は、今日、今、申しましたようなです。いうならば、右と願っても左になったところに、目に見えない神様の働きがいっぱいあるのをです、私共が分からせて頂いて、そこに、有り難いと受けていけれる信心こそ、私は宝石のような、尊い信心であるというふうに思うのです。
目に見えないと言えば、御霊様のことは誰もわかりません。分かりませんけれども、魂の世界がある事は間違いがない。それも、ただ、自分に縁に繋がる縁の、縁者の者だけの助かりではなくて、硫黄島の幽霊ではない、沖縄だけではない、ベトナムだけではない。世界中のね、ありとあらゆる、不幸な御霊達の上の事も祈らせて頂く、御大祭にしたいと思うておりますから、
どうぞよろしくお願いいたします。